TOP> 会社案内>丸電工業の成り立ち
 

丸電工業の成り立ち

 丸電工業の創業は大変古く、1914(大正3)年、新宿区四谷3丁目に「丸電工業所」を立ち上げたのが始まりである。会社創立前後の詳しい経緯は今となっては不明だが、1932(昭和7)年には資本金2万円で「株式会社丸電工業所」を設立して、長井誉一(たかいち)が代表取締役社長に、弟の一(はじめ)が専務に就任した。また、このとき同地に新社屋を建設した。

  設立当時の丸電工業所は長井電気工業との関係が深かった。長井電気工業は誉一の兄が一足早く創業した会社で、建物の内線工事(電気設備工事)を主たる事業としていた。その兄の影響を受けた誉一と一の兄弟が別会社を立ち上げて、全く同じ事業を始めたのであった。長井電気工業は優良な顧客に恵まれ、宮内庁や日本銀行、財閥では住友財閥系の企業と取引実績があった。こうした関係から、設立間もない頃の当社も住友財閥系の企業との取引を中心に業績を伸ばしていった。

  太平洋戦争開戦直前の1941(昭和16)年4月には商号を変更して「丸電工業株式会社」としたが、戦火の激しくなった1944(昭和19)年に、強制疎開により本社を世田谷区深沢2丁目に移転した。

  しかし、戦後の1946(昭和21)年には資本金を50万円に増資、復興期需要を背景に順調に事業を伸張し、1954 (昭和29)年には本社を中央区銀座3丁目に移転した。それは木造のしもた屋を買い取って改築したものだったが、その後、隣地も買い取り、1959(昭和34)年には同地に木造の新社屋を建設した。

  東京オリンピックを目前にしたこの時期、東京ではかつてないビルの建設ラッシュが起こり、住友グループ系の企業を中心にその内線工事を受注し、急激に業績を伸ばしていった。それに応じて短期間のうちに資本金の増資を続け、1961(昭和36)年の100万円から1967 (昭和42)年には1,000万円とした。

  1969(昭和44)年には東京都の隣接県にも営業エリアを広げるため、都知事登録だった建設業登録を建設大臣登録に拡大し、埼玉県での受注を目的として当社の唯一の営業所で、ある成増営業所を発足させている。(のちに移転して埼玉営業所となる)

  1973 (昭和48)年には本社社屋として「丸電ビル」を新築した。そして、1981(昭和56)年には長年、代表取締役社長を務めた誉ーが退き、その後任に長男の信ーが就任した。

  1993(平成5)年には資本金を5,000万円に増資するなど経営は順調に推移していった。

  2003(平成15)年にはIS09001認証を取得した。同年12月には株式の60.35%を岳南ホールデイングスが取得して、岳南グループの一員となった。翌2004(平成16)年4月、代表取締役社長に小野善章が就任、同年7月には岳南ホールデイングスが全株式を取得した。2005 (平成17)年10月、井上不二男が代表取締役社長に就任し、その後2013(平成25)年12月、横張幸雄が代表取締役社長に就任した。

  当社はビル建設に伴う電気設備工事の専門会社として、官公庁をはじめ、都内に本拠地を置く中堅ゼネコンや様々なお客様を取引先として現在に至っている。